昭和48年3月25日 朝の御理解
道教乃大綱 「一、今より何事にも方位は忌まわず我教えの昔に復れよ。」
今朝方からお夢を頂いた。私が久留米の酒屋に奉公しておりました、いわゆる小僧時代のいろんな事柄をお夢の中に頂いて改めてハッキリ本当におかげを頂いてきたなあと、しみじみ思わせて頂いた。今朝の御祈念は御神前でもその事ばかり、霊様の前に出ましてもその事ばかり、もうその事ばかりお礼を申させて頂いて御祈念の時間が終った。
本当に私が考えてみますと十五の年に小僧に参りましたんですけれども、それから兵隊検査まで丁度七年間、一軒の家に勤めさせて頂きました。もう本当にその七年間の事だけでも思わせて頂いたら彼もおかげであった、此もおかげであったと思わせて頂くことばかりで、今日は一時間十分かかりましたが、御祈念がその事だけでまだまだ足りん程にありました。お礼を申し上げることでいっぱいでした。そして最後に立たせて頂くときに「金光大神賛歌」と云うことを頂きました。
今頃よく言われますね、ここでは・・・金光大神賛歌と、金光大神を讃え奉ることなんです。
私がいわゆる店員生活七年間の間のことをじーっとあんな事もあった、こんな事もあったと様々に思いを巡らせて頂いてその事に改めてお礼の足りなかったことを、彼も金光様のおかげ、此も金光様のおかげと有難い、云うなら四十年前のね、ことを私がお礼申し上げるその事が金光大神を讃えることなんです。それが讃歌です。
もうそこにはね、何にもない、願いもなからなければ詫びもない。只お礼申し上げる事だけ。そういう私は喜びに満ちた心と云うものが有難い。
今より何事にも方位は忌ず、我教えの昔に復れと、そこには何の差障りもない有難いとお礼申し上げれる四十年前の事柄を一つ一つ思い起こさせて頂いて彼もおかげ此もおかげと・・・・
そこにはもう本当に天地の中にあるものは神愛だけだと感ずる。有るものは神様の御恩恵だけしかない。それは七年間の間に場合には血の涙の出るような事もあった。色々な事があった。けれどもそういう事があるたんびに私の心の中にフアイトが湧いておる。してみると、その涙の出るその事もやはりおかげであったとこういう事になる。
今より何事も方位を、もう天地の中には指一本で押すだけでも困ったこと難儀なことといったような事は有り得ないのだと、只有るのは神愛のみだと悟らせて頂くところに、私は方位を忌ずこれは日柄方位と云うそういう、云うなら私共から言えば迷信と思われる様なことをです、取り上げて何の日がよいの何の日が悪いのと言うたりするような事でしょうけれども、私が今日言うたのは、天地の中に天地の働きの中にはもう神愛だけしかない。いやこれは天地創造、いわゆる天地が出来るときから既にそういう天地の中には神愛のみであると云うことを分からせて頂くと云うことが私は我教えの昔に復れよと云うことはそういう事だと思うのです。
私はこの事が今迄ひとつも分からなかった。我教えの昔ちゃどげなこつじゃろうかと思いよった。もう天地が出来る時から既に有るものは神愛だけしかないと云う、いわゆる教えの昔ちゃその事、そういう事であると今日は気付かせて頂いた。
金光大神の御出現この方、そういう偉大な大変な教えを私共に垂れて下さっておる。その教えの中に私共が生活させて頂くと云うことには何処にも差障りが無い、只有るものは有難いのみだと云うこと。あああの人は冷たい人だと、何と冷たい仕打ちだろうか、どうしてこんな冷たい仕打ちを受けなければならんのだろうかと思う時であっても、よくよく御神意を悟らせて頂くと、その雪なら雪霜なら霜のです、冷たいそれは冷たいことは冷たい。けれどもあの霜柱の一本一本をです、又はあの雪の一片一片をです、顕微鏡で覗かせて頂いたら、もうそれこそ天地の親神様の手にならなければ出来ることではなかろうと思われる程しの微妙なあの幾何学模様的な、しかもその一片一片にです、その神様の御手にならないものはないという程しの事が分かる時です、成程冷たいけれども神様のこのお働きにはお礼を申し上げる以外にはないと云う程しの事。私は金光様の信心とはそれが分かることだと思う。
そこで今より何事にも方位は忌ず、そんなら今これからはです、自分の行く手には困ったこと、難儀なことがあると云う様な心を振り捨てて、有るものは神愛のみだ怖いこともなからなければ、不安な事もない。心配なこともない、それを私共の心の迷いが心配になったり怖いと思うたりしておるだけのことなんだ。
そこんところを生神金光大神お取次を頂いて、お取次の働きを日々体験させて頂きながら、そんなら私が今日です、四十年前の事を思い出させて頂いて、いわゆる私の酒屋の店員時代の七年間というものを思うてみて、もう七年間のその一切が神様のそれこそ妙なる迄の御神意御神愛であったと云うことが分からせて頂く時にです、もうその事だけで今日の御祈念のお礼が尽きてしまった。まあだまあだ足りないくらい。
そこに神愛を思う時です、その神愛に応え奉らなければおられないと云うのが信心生活。信心生活とはそういう神愛に催されてその神愛に奮い立たせて貰うと云う心、神愛にお応え奉ると云う心、それが信心生活なんだ。
昨夜中村喜久代さん所の恒例の宅祭でございました。大変立派なお祭りでした。丁度私があちらから迎えにみえる時間になったから立とうと思う時に福岡の安東さんがお参りして見えた。そして御神前で頂きましたと云うことが「天の宮」と頂いた。ははあそれは今から私が中村さん方に行こうとしよるから、こら中村さんが頂かっしゃらないかん事じゃろう。あそこは有名な北野の天満宮と云うのがある。だから天満宮の氏子である、同時に私の事を天神様と私の紋が天神様と同じ紋だと云うことからそういう事に引っかけて色々お知らせなんかを頂くときなんかはそういう風に頂きます。
そこでです、天神様の例えば、氏子であると云うことがです、いわゆる天満宮の満と云う字が一つ欠げとると云うことである。
満と云う字は満つると書いてある。天の宮と安東さんは頂かれた。そこで私はすぐに、ははあこれは天満宮の満と云う字がいっちょ欠げておるのだなと思うたから、ははあこれは北野の今日私がやらせて頂いてこの事を聞いて貰わなければならないのだなと私は思うた。
昨日お話する様に、喜久代の喜の字を取ったらくよくよだとその喜の字がです、満ち溢れておらなければならない。
もう七十幾つにもなられる人がです、若い者に互して朝参りをああして来られる。その上に信心が足らんとか喜びが足らんとか云うと、酷なごとあるけれどもです、神様はもっともっと、いわゆる心の中に満ち溢れるものがなからなければならない。
それは今日私が申します天地の働きの中の全てが神愛であると、思う時にそれは冷たいと云うことでも、痛い痒いと思う時でも一切が神愛だと分かるときにお礼が言えれることになる。いわゆるいつも喜の字を持続することが出来る。持ち続けることが出来る。
この喜びが満ちたときに初めて天満宮と云うことになるのじゃないかと云うてお話させて頂いた。
天神様と云うことは、そんなら私が現在頂いておる様な、そんなら合楽の天神様が頂いてござるようなおかげを頂く為にはです、もっともっと喜びが心の中に満ちなければならない。溢れる程しにならなければならない。思うてみるともう実に彼もおかげ、此もおかげ。
或時に中村さんがある難儀な問題を自分方の神様の前で一生懸命御祈念しござった。そしたらウトウトとこう眠った様な感じがした時に、もうハッキリお声でね、「おかげを頂き足らんごと思うとる」と云う大変な厳しいお声を頂いた。おかげを頂き足らんと思うとると。はあ、ほんな事思うてみりゃおかげ頂いておるどころじゃなか、彼もおかげ此もおかげと思うて、願うことが無くなったと云う様なお話をしておられた。中村さんが・・・・
もう思えばおかげばっかり、それこそ一切が神愛であるおかげであると分からせて頂くときに、初めて喜久代と云う事になる。その信心を子供にも孫にも伝えておかなければならない。伝える為には自分だけならそれでいいだろうけれども、子供に孫に伝える為にはそんならもっともっとおかげを頂かなければならない。もっともっと心の中に喜びが頂かなければならない。
あそこの神様の部屋に行くと、ずーっと表彰状があちらの養子であります清さんが報国タクシーに勤められるようになって十七年間になる。その十七年間もタクシーの運転手しとって一回の事故も無いと云うのだから、もう只これだけを云うても中村さん恐れ入ってしまうじゃないのと云うて話したことです。
そんならそこに清さんの信心がどれだけ出来よるか、初美さんの信心がどれだけ、いわゆる娘達夫婦の事。してみると、これは中心であるところの中村喜久代さんの信心にいわば催されて母親の有難い有難いに動かされて、そして信心が出来ると云うところまで行ってないところをみると、成程初美さんはああして楽の御用まで頂いて、成程清さんも時折じゃあるけれども、お参りして来る。そしておかげおかげちゃ思うてはおる。
けれどもおかげであると思うておる事が行動に表される程しのものでなからなければ有難いと云うことにはならないと私は思うです。だからそういう意味の事を聞いて貰うた。
自動車の運転手を十七年間も続けて一回の事故もない。それは有ろうとしたことは自分と有りましたよね。一辺なんかはもう乗ったお客がね、短刀を突きつけてずーっと山の中まで行ったことがある。もうそん時なんかはもうそれこそ大変なことであったけれども、金光様金光様と唱え続けて一生懸命走っておるうちに交番所の前まで行った。と云う様なね、まあ本当に素晴らしいおかげを頂いております。それで無事故の表彰状がずーっと、それには金一封が昨日はこんなものを今度は頂きましたと大きなカラーテレビを。
だからそういう時に清さんが今年もおかげで無事故でと云うてどれだけのお礼の信心が出来たか、出来とらん。只おかげおかげと言いよるだけ。
これでは成程、天の宮と云うことはおかげは下さる。天は降るようにおかげを下さる。だからおかげ頂いて居るだけ。ここにもっともっと満ち溢れる程しの喜び、信心と云うものをです、頂かせて貰うと云うことが天満宮と云うことになるのじゃないかと云うのです。 今より何事も方位に忌ず我教えの昔に復れよ。
この喜びが満ち溢れておる時に、今より何事も方位だけではない、全ての事の中に神様のおかげばっかりだと分からせて貰う。教の昔とそういう働きが天地創造の昔から、天地が出来たときから、もう既に天地の中には神様の神愛だけしかなかったんだと云うことを悟れよ。その教の昔に復れと云うことを今日はそうい風に感じ取らせて頂いた。
私が七年間の、云うなら店員生活のその事をです、本当に七年間のつれない仕打ちも有った。歯痒い思いをする事もあった。腹立つ事もあった。もう血の涙の出る様なこともあったけれども、それもひっくるめての七年間の神様の御働きと云うものをです、思わせて頂くときにそんなら今日の私の一時間十分と云う御祈念が只その事の御礼に尽きてしまったと云うこと。
まあだその十五から二十一迄だけのことで、まあそれでもまあだ足りない位。そういう私は信心の喜びに満ち溢れると云うことがです、いろんな迷信なんかにこだわる事もなからねば、迷うこともない程しのおかげが頂けて、成程教の昔に復らせて頂くこととは、そういうおかげを頂く時だと思うですね。 どうぞ。